2016年10月6日木曜日

グローバル化の終焉


10月4日、朝日新聞の記事からです。「グローバリズムの危機」をエマニュエル・トッド氏が語っています。彼の著作『グローバリズム以後』も近く翻訳されて刊行される模様。興味津々です。なぜなら、あまりにもグローバリズムが推奨され、日本は時代に乗り遅れていると批難される現実があったから。世界のグローバル化に乗り遅れないようにと、英語教育の異常な盛り上がりとか、企業も海外に進出しなければと踊らされたりと。つまり、グローバリズムは「そんなにイイもんなんか」と常々疑問に思っていました。

 

彼によりますと、「グローバリズムとは経済で世界を一つにするという『イデオロギー』なのだ。」と言うこと。貿易が活発化し、人や資本の自由な移動を通じて各国が収斂されていくという米国の思惑が出発点。そして今、グローバル化を発展させてきた米国と英国の危機により、グローバル化も終わりを迎えつつある…。(グローバリズムを牽引してきたのが英国・米国だったということが、英語の世界共通語化をもたらしていたのですね。)

 

その英国もEUから離脱することになり、「国家への回帰」を選びました。米国の大統領選では、トランプ氏が移民制限と自由貿易の拒否を打ち出し、反グローバル化を標榜しています。ドット氏は、「米国自体が、グローバル化、新自由主義に耐えられなくなっている。」と指摘しています。高等教育を受ける事ができ、「新自由主義」に耐えられる金持ち層と中間層の格差の現われです。中間層は、ハイパー個人主義の極たる「新自由主義」に対し、反乱を起こしているのです。

 

ドット氏は、「大統領選でグローバル化の神話は終わり、国家回帰に拍車がかかるだろう。」と予言します。しかしその崩壊により、「経済と言う狭いビジョンだけにとらわれず、より政治的、知的な面に光が当たることにもなる。」とも言っています。

 



 

わたしの言いたいことは、「日本はいつも何かに乗り遅れて、ようやく乗ろうとする時、それはすでに終わりを迎えている。」ということ。グローバル化然りです。TPPだのなんだの言っているうちに、米国はTPPを見限ってグローバル化から撤退する。

 

ハーグ条約然り、脳死問題然り、移民問題然りです。いつも世界(欧米諸国)から日本の対応は遅いと批難され、圧力をかけられ、政府がようやく国内法整備を終えて参加すると、世界(欧米諸国)では、それ自体に対する批判がおこり見直しがされるとか終焉するとか。日本はまたひとり取り残されてしまいます。

 

ハーグ条約は、条約の中に「差別の構造がある」とわたしは思っていましたが、欧米でも今見直されているところです。脳死移植についても、日本では「脳死を死としない」ということで問題となりましたが、それがクリアになった時、アメリカでは脳死を死とすることに疑問が投げかけられています。

 

一周遅れで走っていた日本が、遅れ続けてトップに出たというような…、そんな感じでしょうか。もっと、ポリシーを持って生きて行きたいものです。









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